ギゲン歳時記

四季折々の出来ごと日記

自分の、街録

昨日妻のスマホに、女優 竹内結子さんの死亡の訃報が届いていた。

色々あったであろうと想像し残念と思いながら、心の中で手を合わせる、幼少の時の

家庭環境もあり繊細に育ったようだとか、情報がその後交錯する。

どんな偉人でも環境によるストレスはあると言われるが、ご冥府をお祈り致します。

 

さて街録番組は、見ていましたが自分の街録を書くことにしました。

私事ではありますが、私の子供のころの環境は少し波乱に満ちたものであります。

自分の中には、3人の母親がいて生みの親は、私と弟つまり双子を出産しましたが、

産後の体調が悪くて弟もつれて、すぐに亡くなったのです一人生き残ったのが私で

それからすぐと聞いているが、父方の祖母や叔母のいる青森に預けられた様ですが

何せ双子の未熟児で、そうとう苦労したと思っております。

そして、ものごころが付いた頃には今度は、母方の祖父母(国鉄職員だった)の

お世話になり、よく国鉄官舎のグランドで祖父が作ってくれた木製の鉄砲を担いで

一人、祖父の見守るなか行進していたのを記憶しています。

函館・青森と行ったり来たりの生活が続き、つまりたらい回し的生活だったようです。

いろんな事情のある時代、この頃のことは青森の叔母に聞くしか分らない頃です。

 

生みの親のことを知ったのは、小学校に入ってからだと微かな記憶がありますが、

その後、母親の愛情を求めつつも、叶うわけがありません。

救いは、青森の祖母が函館に居を移していたことでした、生活の中で祖母の愛情を

受けて育ち、小学校の参観日や運動会・学芸会すべて祖母が引き受けていました。

祖母は寡黙で私にも誉め言葉もありませんが、優しく厳しいのは、逆にうれしかった

のは記憶にあります。

その後、父が再婚をして育ての親に会うことになります私が、小学校に入って少し

経ってからの事です。

直ぐに子供(弟・妹)が出来て、小さな子供の世話でいっぱいの母親でしたし

父の所業もあり、大変な生活だった様でした自分もまだ小学生で愛情の欲しい年頃

でありましたが、それは叶うわけがありませんし育ての親ともぎくしゃくしながらの

毎日でした。

そんなことから、自分の性格も小学生のくせに相手の気持ちを伺ったり、我慢したり

の人の顔色を見るような可愛くない性格だったと思っています。

誉められたくて、弟や妹をおぶっておもりしたり、中学になり新聞配達したりと

自分が少し目覚めて、自分なりに精一杯の時期だったと思います。

それでも悪ぶれず(色々悪さはあるも)育ったのは、育ての親の躾かもしれません。

その頃から、独立したい気持ちがわいてきて居たことはあります。

そして、思春期以来父親とは、いつも親子喧嘩その繰り返しで、結婚しても父との

喧嘩は絶えませんでした今考えれば、自分の肉親は父のみ、ありったけ甘えていたんだ

なあーと今は思っています。

こんな環境でしたので、生みの親を恨んだこともありました。

その暗い、性格を変えれたのは、ある日出会った彼女(現在の妻)がきっかけになり

独立したいと強く思っていたし、彼女と新しい家庭を築けるんだと言う思いでしたし

光が差したような気持だった訳です。

少し、調子のいい自分も環境の変化で出来てきて、そんな明るくなった性格をいかし

建材商社に勤め、仕事に精一杯張り切ったすこし積極的な自分がそこに居ました。

結婚して子供もうまれ親となった頃、生みの親の無念さとか育ての親の大変さが少し

理解できる人間性を感じていました。

しかしその後、訳あって(その訳はいつの日か又書きます)札幌に転職することに

今から14年くらい前ですが、それからは札幌でもう一度、人間関係作りからの始まり

でした。

相変わらず母親との距離とかどんな存在かわからないまま仕事に追われる日々でした。

そんな時、以前から電話で連絡し合っていた青森の叔母から、私達を心配して連絡が

ありその後、札幌移転から毎年タケノコやその瓶詰めやリンゴと色々送ってくれました

札幌での新しい生活で力強い応援でした。

嬉しい気持ちでしたし、親が生きていたらこんな感じかなーと想いまたセンチに!

叔母は、一時自分を養子にと言ってきたことも、その叔母から慈愛をもらいました。

今まで知らない愛情を教わったのです。

分別の付く年でも、それが分からなかった自分を、情けないと言うのが実感です。

叔母は現在90歳、いつまでも元気でいてほしいの一念ですし慈愛の母親です。

生みの親・育ての親・慈愛の親3人の親に育てられたんですねー

 

そして今年の8月に、育ての親が天国に行きました。

晩年、特にここ1~2年育ての親とも気持ちが通じあい、見守りしかできませんでしたが

かわいいおばあちゃんでした。残念です。

こんな女親にまつわる話でしたが、育った環境の大事さそして愛情の示し方による

人間形成と情緒の安定、父親にない女親の有り難さこの年になって感じています。

 

人間関係って難しいけど大切、生きていれば何かあるしかし、無常とも言います。

良いことも悪いことも、常は無いと言うことだと!

ゆっくり行こうぜ、世の中はです。

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さくらの樹のグリーンセラピーです。