ギゲン歳時記

四季折々の出来ごと日記

ブルーのワーゲン(かぶと虫)の思い出

秋晴れの日、催し物の確認の為に、道立函館美術館へその広場の美術館エントランス

手前に、大きな菩提樹の樹とオンコの樹の間の、白いお洒落な街灯が目に留まる

街灯にはプレートが付いてあり、俳優の増田喜頓さんが昭和61年に寄贈したもので

あった。(気が付きませんでした)

函館には、色々な芸能人が出ているが、中原理恵朝加真由美・そしてロック界の

スーパースターGLAY、挙げればきりがありません。

晩年、故郷へ帰郷したキートンさんに係るものを見れば、懐かしく会いたい気持ちに

なります。(私たちは親しみを込めてキートンさんと言っていました)

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増田喜頓さん

日本の俳優、昭和期を代表するコメデアン「あきれたぼういず」のメンバー

1909年函館市柳町出身で土木請負業の家に生まれて裕福に育つしかし父の

事業が失敗してその後、母兄弟とも貧しい生活を送る。

そのころから、バスターキートンが主演の無声映画にハマる。

大正12年庁立凾館商業学校に入学し、野球部に入り頭角を現し三塁所として活躍し

北海中学校に引き抜かれプレーして、卒業後「凾館大洋倶楽部」(函館オーシャン

倶楽部と言う読みであります)に入り、当時のオーシャン倶楽部久慈主将からプロへの

薦めもあり野球を続けるが、鈍足のため野球の道をあきらめることに

その後、吉本興業からスタートして、昭和11年「あきれたぼういず」を結成して

一世を風靡しました。

ミュージカルでは、「マイフェアレディ」のピカリング大佐役や「屋根の上のヴァイオ

リン弾き」の司祭役は907公演で出演し代表作になっています。

平成2年5月、60年ぶりに故郷函館へ永久帰郷する。

帰郷前から、函館市民とは交流をしていたものの帰郷後は、仕事の傍ら、講演活動など

も行い他にも「野外劇」のナレーション函館ミュージカル劇場が平成6年に公演した

「案山子物語」の原案を作るなど、市民の中に溶け込み活動を共にしたもです。

平成5年12月1日、喜劇と故郷函館を愛したいぶし銀は、84歳で五稜郭病院で

残念ながら死去しました。

函館人的には、キートンさんと親しげに呼ばれていましたが、25年以上前と思い

ますが、市内をブルーのワーゲン(かぶと虫)で走っている姿をあちらこちらで、

見ていましたし、直ぐわかる車でした。(青い車と言う人も居ますが!)

スーツを着こなし、リフトハットかぶりかっこいい人でした。

よく市内宝来町にあるカネキュウ山田蕎麦屋さんにそのブルーのワーゲンが停車して

いたのを記憶しています。(山田の蕎麦は歴史ある手打ち太麺です)

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こんな感じの、かぶと虫ワーゲンでした。

60年にわたる東京暮らしに、ピリオドをうってここ函館へ戻るなんて

函館人そのもなんでしょう。

(函館の人間は、口は悪いが、人がいいなんて言われていますが?)

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キートンさんも、市民とかかわりながら最後の三年間、地元の鮨や刺身そして空気を

吸って、食べて喜んでいたと思っています。

皆さんも、たまに故郷に帰ってみてはいかがでしょうか!

何か発見があるかも知れませんねー

最後にキートンさんの言葉で

「人を笑わせることは難しい、自身が滑稽な人は、喜劇役者になれませんよね」と

努力の人でもあったんですねー頑張ったんですねー